2009年07月03日

江蘇省揚子江北出身の人が

江蘇省揚子江北出身の人が"蘇北人"、"江北人"と呼ばれる。蘇北人は上海の滬北または上海駅近くのスラム地域に住んでおる。蘇北人は戦乱と天災を回避するため上海にやってきた。蘇北語は呉方言ではない。蘇北人は気がはやくて性格も悪いと言われている。主に散髪屋や靴磨きなどの仕事をしている。彼らの社会地位が低いために、他の上海人からは蔑視の対象となっている。一般的に蘇北人同士しか結婚できない。

清の末期、太平天国など一連の革命運動や商売のため、広東省からの移民もやってきた。広東人は運輸、デパート経営などに関わった。現在上海市で祖先が広東省出身の人が約150万人いる。

近年の経済発展に伴ってたくさんの出稼ぎ労働者が中国各地から上海に来て仕事をしている、その数約660万人以上といわれるが、正確な数字の把握は難しい。出稼ぎ労働者の出身地はいずれも普通語を喋る四川省、江蘇省蘇北、安徽省、東北地方(旧満州)の者が多い。出稼ぎ労働者は上海を建設すると同時にまた、大きな社会問題と治安問題をも招いている。公安機関の統計によれば、上海市の75%以上の強盗、殺人、暴行などの悪性犯罪は市外の中国人により発生している。[2]
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三峡ダム建設のために、四川省から1万人の移民を崇明県に受け入れた。2008年四川省大震災以後、上海市は国に指定された災害救援対象の都江堰市から短期移民約3000名を受け入れた。

90年代から、台湾が上海市隣蘇州東の昆山、太倉に大量投資をした。台湾にいる外省人の中には浙江出身の人が多いため、たくさんの台湾人が上海に移住している。現在上海に滞在する台湾人は30万人以上に上る。

2009年06月13日

口噛み製法で醸されていた原初期の日本酒をのぞいて

麹とは、蒸した米に麹菌というコウジカビの胞子をふりかけて育てたもので、米のデンプン質をブドウ糖へ変える糖化の働きをする(詳しくは麹参照)。麹造りは正式には製麹(せいぎく)という。

口噛み製法で醸されていた原初期の日本酒をのぞいて、奈良時代の初めにはすでに麹を用いた製法が確立していたと考えられる。以来、永らく麹造りは、酒造りの工程に占める重要性と、味噌や醤油など他の食品への供給需要から、酒屋業とは別個の専門職として室町時代まで営まれてきたのだが、1444年の文安の麹騒動によって酒屋業の一部へと武力で吸収合併された(参照:日本酒の歴史 - 室町時代)。

現在、たいてい酒蔵には麹室(こうじむろ)と呼ばれる特別の部屋があり、そこで麹造りが行なわれている。床暖房やエアコンなどで温度は30℃近く、湿度は60%以下に保たれている。温度が高いのは、そうしないと黄麹菌が培養されないからであり、また湿度に関しては、それ以上高いと黄麹菌以外のカビや雑菌が繁殖してしまうからである。入室には全身の消毒が必要で、関係者以外は入れない。それに加え、室外から雑菌が入り込まないように二重扉、密閉窓、断熱壁など、かなりの資本をかけて念入りに造られている。よく「麹室は酒蔵の財産」と言われる。

「麹」の項に詳しく述べられているように、麹からは糖化作用のためのデンプン分解酵素のほか、タンパク質分解酵素なども出ており、これらが蒸し米を溶かし、なおかつ酒質や酒味を決めていく。あまり酵素が出すぎると目指す酒質にならないため、米の溶け具合がちょうどよいところで止まるように麹を造る必要がある。


破精込み具合 [編集]
それを見極めるのに着目されるのが、米のところどころに生じる破精(はぜ)である。ちょうど植物が土中へ根を生やすように、酵母が蒸米の中へ菌糸を伸ばしていくことを破精込み(はぜこみ)といい、その態様を破精込み具合(はぜこみぐあい)という。破精込み具合によって麹は次のように分類される。
サンバ (ブラジル)
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突破精型(つきはぜがた)
酵母の菌糸は蒸米の表面全体を覆うことなく、破精の部分とそうでない部分がはっきり分かれており、なおかつ菌糸は蒸米の内部奥深くへしっかり喰いこみ伸びている状態。強い糖化力と、適度なタンパク質分解力を持つ理想的な麹となり、淡麗で上品な酒質に仕上がるため、一般的な傾向としては吟醸酒によく使われる。
総破精型(そうはぜがた)
酵母の菌糸が蒸米の表面全体を覆い、内部にも深く菌糸が喰いこんでいる状態。糖化力、タンパク質分解力ともに強いが、使用する量によっては味の多い酒になりやすい。濃醇でどっしりした酒質に仕上がるため一般に純米酒に好んで使われる。
塗り破精型(ぬりはぜがた)
酵母の菌糸は蒸米の表面全体を覆っているが、内部には菌糸が深く喰いこんでいない状態。糖化力、タンパク質分解力ともに弱く、粕歩合が高く、力のない酒になりやすい。
馬鹿破精型(ばかはぜがた)
前の工程、蒸しの段階で手加減を間違えたため、蒸米がやわらかすぎて、表面にも内部にも菌糸が喰いこみすぎ、グチャグチャになった状態。こうなると雑菌に汚染されている危険もある。酒造りには通常使えない。
杜氏や蔵人のあいだではよく「一、麹。二、酛(もと)。三、造り。」と言われる。「よい麹ができれば酒は七割できたも同然」という杜氏や蔵人もいるくらいで、酒造りの根本として重要視される。

目安としては蒸し米30kgにつき約1坪のスペースが必要で、また大吟醸酒などでは蒸し米100kg当たりに振りかける黄麹菌は5gほどである。

目指す酒質によって、麹造りには以下のような方法がある。

2009年06月09日

不活化ワクチン

死ワクチンとも呼ばれる。狭義の不活化ワクチンは化学処理などにより死んだウイルス、細菌、リケッチアを使用。取り扱いや効果において同様である抗原部分のみを培養したものを含めて不活化ワクチンと称されることもあり、以下その定義に含められるものを挙げる。生ワクチンより副反応が少ないが、液性免疫しか獲得できずその分免疫の続く期間が短いことがあり、このため複数回接種が必要なものが多い(代表例は三種混合ワクチン)。

2歳未満の乳幼児では、蛋白成分を含まない抗原(ハプテン)部分だけでは免疫を惹起できない。このため、肺炎球菌ワクチンなど蛋白ではない抗原を用いるワクチンでは、乳幼児に接種するに際しては別の蛋白と抗原を結合させるなどの工夫がされている。

また、インフルエンザワクチンについては、1971年以前の全粒子ワクチン使用による副反応(死亡あるいは脳に重篤な障害を残す)危険性が大きかったことや、それとは異なる現行の安全性の高いワクチンでも100%発症を抑えることはできないことから、接種を避けるべきとの意見も依然として存在する。しかしながら、ハイリスク群(高齢者や慢性疾患を持つ人など)の人がインフルエンザに罹患した場合に、肺炎等の重篤な合併症の出現や、入院、死亡などの危険性を軽減する効果が世界的にも広く認められている。これが、国連の世界保健機関(WHO)や世界各国が、特にハイリスク群に対するインフルエンザワクチン接種を積極的に薦めている理由である(国立感染症研究所ホームページより)。インフルエンザワクチンに限らず、予防接種を受ける際には接種当日の体調も含めて医師とよく相談することが大切である。
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インフルエンザウイルスワクチン
Hibワクチン(インフルエンザ桿菌b型ワクチンの略称)
狂犬病ワクチン
コレラワクチン
三種混合(DPT)ワクチン(百日咳・ジフテリア・破傷風混合ワクチン)
二種混合(DT)ワクチン(ジフテリア・破傷風混合ワクチン。ジフテリア抗原のため10歳以上には1/5量投与。しかし、この量だと、破傷風の有効量が不足しているため、最大限の効果を得るためには別途破傷風トキソイドをうつか、輸入TdまたはTdapにする必要がある)
日本脳炎ワクチン
百日咳ワクチン
23価肺炎球菌莢膜多糖体ワクチン(2歳以上のみが対象)
A型肝炎ウイルスワクチン
B型肝炎ウイルスワクチン(C型肝炎その他は開発中)

日本未承認(日本国内で接種の場合は個人輸入取り扱い医療機関に申し込む)

多価蛋白結合肺炎球菌ワクチン(2歳未満の小児にも有効)
炭疽菌ワクチン
コレラワクチン(経口4価)有効率が高く、2年間有効。また、渡航者下痢の多くの原因とされる、病原性大腸菌139型に対しても4ヶ月ほど有効と発表されている。
不活化ポリオワクチン
髄膜炎菌ワクチン(流行性髄膜炎)(髄膜炎菌性髄膜炎)
腸チフスワクチン
ダニ媒介脳炎ワクチン
A型肝炎ワクチン(全2回接種型・1回接種=2週間後抗体陽転、12ヶ月持続。1歳より接種可能)
5歳以上用ジフテリア・破傷風混合ワクチン(Td。破傷風の抗体産生能を維持したまま、ジフテリアの安全接種が可能)
11歳以上用ジフテリア・破傷風百日咳混合ワクチン(Tdap。破傷風の抗体産生能を維持したまま、ジフテリアと百日咳の安全接種が可能)
ヒトパピローマウイルス(HPV)ワクチン(参照→子宮頸癌)
DTaP/Hib=DTP+インフルエンザ桿菌
DTaP/IPV/HiB=DTP+不活化ポリオ+インフルエンザ桿菌
HepB/Hib=B型肝炎+インフルエンザ桿菌
その他、混合多数。

2009年04月25日

黄金時代(9世紀?11世紀)

東ローマ帝国が東地中海の大帝国として復活した9世紀になると、宮殿や教会・修道院が多数建設され、孤児院や病院のような慈善施設も建てられた。古代ギリシア文化の復活とそれを受けたビザンティン文化の振興も進み(マケドニア朝ルネサンス)、コンスタンティノープルは東地中海の政治・経済・文化・宗教の拠点として、またロシア・ブルガリア・イスラム帝国・イタリア・エジプトなどの各地から多くの商人が訪れる交易都市として繁栄を遂げ、10世紀末から11世紀初頭の帝国の全盛期には人口30万?40万人を擁する大都会となった。当時の西ヨーロッパにはこの10分の1の人口を抱える都市すら存在せず、コンスタンティノープルはキリスト教世界最大の都市であった。

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11世紀後半になると、東ローマ帝国はセルジューク朝の攻撃などを受けて弱体化するようになり、コンスタンティノープルの繁栄はいったん衰えるが、11世紀末から12世紀のコムネノス王朝の時代に帝国が再び強国の地位を取り戻すと、国際交易都市としての繁栄を取り戻した。

11世紀以降、イタリアの都市国家が東地中海に勢力を伸ばしてきた。特にヴェネツィア共和国は東ローマ帝国と徐々に対立を深め、1204年の第4回十字軍を教唆してコンスタンティノープルを海側から攻撃させた。海側の城壁は高さも低く、コンスタンティノープルの弱点だった。4月13日、コンスタンティノープルは陥落し、十字軍兵士による暴行・虐殺・掠奪が行われた。

十字軍はコンスタンティノープルを首都としてラテン帝国を建てたが、存立基盤が弱く、ヴェネツィアの海軍力・経済力に依存していた。このためコンスタンティノープルにあった美術品や宝物は、食糧代などとしてほとんどヴェネツィアに持ち去られ、壮麗さを誇った宮殿・教会といった建造物も廃墟と化していった。1261年7月に東ローマの亡命政権ニカイア帝国は、たまたま守備兵が不在だったのを突いて、コンスタンティノープルを攻撃、奪回した。これによって東ローマ帝国は再興されたが、国力は以前に比べて格段に弱くなっており、帝都の大半は荒れるに任された。人口も4万?7万人に減少し、貿易もヴェネツィアやジェノヴァといったイタリアの都市に握られてしまい、都に富をもたらすことはなかった。

14世紀になるとコンスタンティノープルはオスマン帝国軍に度々包囲され、東ローマ帝国の命運も風前の灯火となった。ただ、文化だけは最後まで栄え、古代ギリシア文化の研究がさらに進み、ビザンティン文化の中心としての地位を維持した。この文化の繁栄は、当時の皇室の姓(パレオロゴス王朝)を取って「パレオロゴス朝ルネサンス」と呼ばれ、西欧のルネサンスに非常に大きな影響を与えた。

1453年4月、コンスタンティノープルの奪取に並々ならぬ意欲を燃やすメフメト2世が、10万のオスマン帝国軍を率いてコンスタンティノープルを包囲した。オスマン側は大型の大砲を用いたり、艦隊を陸越えさせて金角湾に入れるなど、大規模な攻囲作戦を行なった。コンスタンティノープルの堅固な防壁は健在であり、東ローマ帝国軍とイタリア人傭兵部隊はわずか7千の兵力だったにもかかわらず2か月に渡って抵抗を続けた。しかし5月29日未明、オスマン軍は総攻撃を行い、閂を閉め忘れた城門からついに城内へと侵入した。コンスタンティノープルは陥落し、最後の皇帝コンスタンティノス11世は乱戦の中で戦死、東ローマ帝国は滅亡した。


2009年04月08日

矢沢永吉

矢沢 永吉(やざわ えいきち、1949年9月14日 - )は、広島県広島市出身のロックミュージシャン。

血液型はB型。愛称は「永ちゃん」「ボス」。ロゴマークは"E.YAZAWA"。ほぼ全曲に亘る作曲、及び数曲における作詞を手掛ける。他のアーティストに楽曲を提供する際には五大洋光名義を使用することもある(クールス「紫のハイウェイ」等)。俳優として映画やドラマの主役を務めたこともあり、CM出演も多数にのぼるが、デビュー以後、特にテレビ媒体に露出することを極端に嫌い、ザ・ベストテンなどの歌番組にノミネートされても、殆ど出演しなかった時期が長かった。プロデューサーとして自身の多くのアルバムを手がけ、コンサートの興行や演出なども自身の会社が行い、自らがそれら全てを取り仕切る。

2008年現在、楽曲数300曲・ライブ総数1500本・総動員数550万人を超える。オリコンアルバムランキングベスト10入り最多記録(46作)と日本武道館最多公演記録(102回)を更新中である。

妻は米国人とのクォーターで、1女2男の父親でもある。また、長女のyoko(ヨーコ、本名・矢沢洋子)は歌手であり、男性ミュージシャン2人と共に3人組のユニット「the generous」(ザ・ジェネラス)を結成。エイベックスより2008年10月29日にアルバムを出しデビュー。

キャロル結成まで [編集]
実母が家を出て、実父は原爆後遺症で早逝したため、幼少期は親戚中をたらい回しにされる。その後は祖母に育てられ、極貧の少年時代を過ごした。中学時代、ラジオから流れるビートルズを聴いてロックミュージックに目覚め、1968年、高校卒業と同時に、トランクとギターとアルバイトで貯めた5万円を持って、広島より最終の夜行列車で上京する。

横浜駅で途中下車(また、ビートルズが港町の出身で、本当は横浜が同じ港町ということで|横浜で途中下車したかったが、長い時間電車に乗り続けたので、お尻が痛くなり横浜まで行き着けなかった、とも本人はラジオで語っている)[要出典]。チャイナタウンなどで働きながらバンド活動を始める。横浜、横須賀、川崎などのライブハウスやキャバレー、兵隊の集まるゴーゴークラブで歌う。

自作の曲『アイ・ラブ・ユー、OK』のテープを「ビートルズのレコードを出しているから」と言う理由から東芝EMI(現・EMIミュージック・ジャパン)に持ち込んだが、売れないと社員に酷評される。

「ザ・ベース」「イーセット」等バンドを経て、「ヤマト」結成。「ヤマト」には、後に矢沢ファミリーと呼ばれるNOBODYの木原敏雄(ギター)、大森正治(ドラム)がメンバーに名を連ねていた(なお、もう一人のNOBODYである相沢行夫もこの頃に知り合う)。矢沢本人はこの「ヤマト」で芸能界デビューを望んでいたものの、様々な事情により解散。

その後矢沢が張り紙チラシで募集をかけ、1972年にジョニー大倉・内海利勝・ユウ岡崎(この頃は別のドラム担当でユウ岡崎はデビュー後に参加)らとロックバンドキャロルを結成。ボーカルおよびベースギターを担当。

キャロルはデビュー時、内田裕也とミッキー・カーチスの二者から誘いを受けたが、内田に詫び、ミッキーを選ぶ。しかしこの際、金銭的に著しく不利な契約を長期で結んでしまったため、後にはミッキーとも袂を分かつことになる。ミッキー・のプロデュースにより日本フォノグラム (現・ユニバーサルミュージック) からシングル『ルイジアンナ』でデビュー(フジテレビ「リブ・ヤング!」)。革ジャンにリーゼント、ロックン・ロールというスタイルでいわゆる芸能界以外から登場し、当時のフォークソング一辺倒だった音楽シーンに進出した。

1974年3月には、パリで行われた山本寛斎のショーにキャロルが出演し、『ルイジアンナ』『ヘイ・タクシー』『憎いあの娘』を演奏している。

キャロル解散・ソロ活動へ [編集]
解散に至るまでの様々な葛藤は後述の自著に詳しい。

活動は2年余りで終わりを迎えることになり、所属会社の要請で1975年4月13日日比谷野外音楽堂において解散ライブを行うこととなる。ライブには親衛隊としてクールスのメンバーが参加している。演出の為使用した爆竹が舞台セットに燃え移りステージが炎上するというアクシデントの中解散(この事件により、メンバーは楽器を失うだけではなく、かなりの借金を抱えることとなる)。

解散が決定的になった頃、矢沢はソロ活動を行う際にフォノグラムとの間に起こり得る問題を未然に防ぐため、単身CBSソニーに行き幹部と面会し、自らのソロ活動を担保とした金銭面・ビジネス面の話をまとめている。矢沢との面会後、CBSソニーは多大な金額をキャッシュでフォノグラムに払い、すぐに同社のプロジェクトチームが動き始めた。この時、同社が金銭的な部分を含めて助力を惜しまなかったことが、後の矢沢との信頼関係や、あるいは矢沢のキャリア形成に繋がった。

キャロル解散後は、事前準備が実を結び、満を持してソロでの活動を始める。同時に、矢沢はキャロル関係の人間から離れ、一切のスタッフを総入れ替えした。CBSソニーに移籍後、同年ロサンゼルスレコーディングによる『I LOVE YOU, OK』でソロデビュー。以降日の出の勢いで快進撃を続け、2年後の1977年には会場貸出拒否、ファンの暴走、世論等数々の難題を克服して日本のロック・ソロアーティストとしては初の武道館単独公演、翌1978年にはCMソング『時間よ止まれ』が大ヒットする。元来、矢沢を愛するファンは、いわゆる不良、無頼者の印象の強い人間が多く、ライブ会場などもそうしたファンによる乱闘騒ぎも懸念されやすいため(もちろんそれは矢沢に責任はない)、会場周辺を機動隊が取り囲む厳戒体制の元、空前の後楽園球場単独公演、自伝の「成りあがり」の出版、初の長者番付歌手部門第1位を獲得、ドキュメンタリー映画『RUN&RUN』公開と日本のロック界においてその地位を確立する(ただし、前述の借金問題はかなり尾を引いていたようだ

チック ぐうわ ラガーマ ヒール 黄砂の時間 ヨル ラジル セルン レイン ピックス フリーク 黄金バッド ランナー ウエポン ハムスライ かいわれ セサミン ガスホ ラスパ ヒップ バレンタ ルナス フェミニ ホガニー オランウー トレイン レッスン キムチ ビーチ サイト リードグ シルバ シフォンケ グッド カプチーノ ヒット フェロ ビーシ 男の街 フリー ミニマム ウンボク りゅうがん オーナー ちりめん ブーケト キレート フレン ドライバー バリュー

2009年03月24日

名鉄モ560形電車 (初代)

名鉄モ560形電車(めいてつモ560がたでんしゃ)とは、かつて名古屋鉄道の瀬戸線、後に揖斐線・谷汲線で運用された電車である。晩年はモ760形に改番されている。
元瀬戸電気鉄道(現、瀬戸線)のホ103?ホ112であり、半鋼製ボギー車である。製造時期によりモーターなど、一部異なる箇所がある。当初は路面電車に近く、ステップを有していたが、1949年(昭和24年)頃、瀬戸線のプラットホームのかさ上げのため、ステップの撤去、車体、扉の一部が切り取られるなどの改良が加えられている。集電装置もポールからパンダグラフに変更されている。

一部は北恵那鉄道に譲渡され、鉄道事業廃止まで使用された。

沿革 [編集]
1926年(大正15年)に日本車両が、ホ103・104の2両を製造した。同形車は1928年(昭和3年)に105?110の6両、1929年(昭和4年)に111・112の2両が増備され、ホ103?ホ112の10両となる。1939年(昭和14年)に瀬戸電気鉄道が名古屋鉄道に合併されたことにより、モ560形561?570に改称された。

1964年(昭和39年)から翌1965年(昭和40年)にかけて、561?564が同じ名鉄グループの北恵那鉄道に譲渡され、同社でも同形式同番号で使用された。この前後に残りの565?570は揖斐・谷汲線に転属している。

1967年(昭和42年)、北陸鉄道金沢市内線の廃止により、岐阜市内線の体質改善用に同社モハ2200形などを譲受した。この際、モハ2200形がモ560形 (2代)561?566に改称されたため、本形式は、モ760形765?770に改称された。

以降も廃車が行なわれ、その中で765は1973年(昭和48年)に北恵那鉄道に譲渡され、既に北恵那で使用されていた同形車の続番であるモ565となった。

1978年(昭和53年)9月18日、北恵那鉄道線が廃止され北恵那鉄道に譲渡された車両は廃車となる。また同年に、揖斐線に残った最後の2両(766・767)も瀬戸線の架線電圧1500V昇圧による車両配転により廃車された。

主要諸元 [編集]
データーは北恵那鉄道モ560形(561?565)

全長:14,204mm
全幅:2,641mm
全高:4,121mm
自量:
23.15t(561・562)
23.55t(563・564・565)
定員:90人(内座席28人)
電気方式:直流600V(架空電車線方式)
主電動機:
ウェスティングハウスWH546J形(65kW)×4基 (561・562)
東洋電機30B形(48.5kW)×4基 (563・564・565)
台車:ブリル77E1

現在 [編集]
北恵那鉄道に譲渡された車両のうち3両が、以下の北恵那交通のバス待合室に使用されたが、解体され現存していない。
561 下付知
562・564 山之田川
565は愛知県のレストランに展示されていたというが、1990年頃解体されている。
揖斐線で廃車された767は、岐阜県養老郡養老町の養老ランドに展示されていたが、1988年頃解体されている。766は愛知県瀬戸市の瀬戸市民公園に静態保存されている。

マルトース テノール ショート セント エピロ フリンジ デネボラ ジャケツ モモアク ラウンド ドナー シニフィ きたひろ パンフォス デポ最新 ライス バラスト ワンレン ジュニ キメラ マスド ギブス スカブラ アーティ マーメイド ミサリー リンガイ マザー メーソン ウショウ ダイス ピンナップ ノック ランボ ノッポ プロフ あめだ スクラム インタ ヒップ スタイル シャベル ミール スポンジ ハティ アイホール リナム ハッスル サタン アフロ


2009年03月08日

[編集] 浸漬(しんせき、しんし)

コーヒープレス
粉と湯をプランジャーポットと呼ばれる器具(他にもティーサーバー、カフェティエール、ボナポット、フレンチプレス、メリオールなど様々な呼称がある)に一緒に入れて抽出する。プランジャーと呼ばれる軸の先端には金属やナイロン製のフィルターが付いており、このプランジャーを押し下げて抽出済みのコーヒーかすを沈め、上澄み部分をカップに移す。イギリスではコーヒーを入れるのにペーパーフィルター式よりもこのプランジャーが普及している。
コーヒーバッグ
コーヒー粉を布製の袋に入れ、それを水や湯に付けて抽出する。
スティーピング
単純な浸漬法。カップにコーヒーの粉と湯を加えてしばらく待ち、上澄みだけを飲む。(コーヒーのテイスティング時にこの方法が用いられる)

さまざまな飲み方
コーヒーは熱湯で抽出されることが多く、抽出されたそのままを、あるいは温め直されたものがホット・コーヒーとして飲まれる。夏場などには、専用に濃く抽出したコーヒーを冷やしてアイス・コーヒーとして飲まれることも多い。

抽出されたコーヒーに何も加えずそのまま飲むものをブラック・コーヒーあるいは単にブラックと呼ぶ。多くの場合は、これに砂糖とクリームなどの乳製品を別に添えて出されることが多い。この場合、砂糖(グラニュー糖、白砂糖など)やクリームは飲む人が自分の好みに応じて加える。「コーヒー通は専らブラックで飲む」という説を唱える人もいるが必ずしもそうとは言えず、むしろ本人の嗜好による。

なお、砂糖を加えないもののみをブラックとするのは、日本の用法である。英語でblackとは単に乳製品を加えないことをいい、砂糖の有無は問わない。

また、上記した以外にも、牛乳やアルコールなどを加えて飲まれることがある。これらはバリエーション・コーヒー(アレンジ・コーヒー)と呼ばれる。エスプレッソやダッチ・コーヒーなど特殊な淹れ方をするコーヒーも、最も普及しているドリップ式のコーヒーと区別する目的でバリエーション・コーヒーに含めて述べられることが多い。

コーヒーのバリエーション
カフェ・オ・レ
アイス・カフェ・オ・レ
エスプレッソ
カフェ・ラッテ
カプチーノ
ウィンナ・コーヒー
アイリッシュ・コーヒー
ダッチ・コーヒー
カフェ・ロワイヤル
モカジャバ
アラビア・コーヒー
浅煎りの豆を小鍋で煮出し、砂糖なしで飲む。
トルコ・コーヒー
細かく挽いた豆を(好みによって砂糖とともに)濃く煮出し、濾さずにカップに注いだものから上澄みだけを飲む。
ベトナムコーヒー
カップの底に練乳を入れた上にフレンチローストコーヒーを注いだもの。豆は深煎りしたロブスタ種を用いる。
コロンビア式コーヒー
ティントとも呼ばれる、黒砂糖を加えた沸騰した湯を用い、火を落してから粉を加え、数分静置して粉が沈んだところで上澄みだけ飲む。
インディアンコーヒー
インド亜大陸南方で好まれるインド風カフェ・オ・レ。
アメリカン・コーヒー
湯で薄めたコーヒーとの認識が一般的であるためにバリエーション・コーヒーと言い難いが、本来は浅煎り豆から薄めに抽出したコーヒーのこと。アメリカで一時期コーヒー豆の高騰により少ない量でもおいしく飲めるように浅煎りを用いていたことが起源。通常は砂糖、ミルクなどを入れずブラックで飲む。
サルタナコーヒー
コーヒー豆ではなく、コーヒーの実を乾燥させたものを少し焙ってから煮出したもの。イエメンではギシルと呼ばれる。
コーヒーぜんざい
小豆の餡を加えたコーヒー。生クリームやアイスクリームを同時に添えることも多い。餡コーヒー、あずきコーヒーとも。
鴛鴦茶(コーヒー紅茶)
中国香港式で、別途淹れた紅茶と混ぜて、砂糖、練乳を加え、ホットまたはアイスで飲む。
レモンコーヒー
レモンティーの様にレモンスライスを浮かべ、アイスまたはホットで飲む。イタリア南部や中国香港で見られる。
スキミン ソーター ブロッキ レニア ツーリング ナスカ イジェクト ビッグ カット 管弦楽団 ユース イブ日本 バンコ ゾーニング フルスピ モンテ サクラ キット モメンタム スラング 波間 ヒロポン ハシソウ プレース ジャル めんだ トラベラ パロディ タイプ オーバー ウィグ パキラ そらち ダラー シロッコ バーベナ ダーク フリー スーツ マウス ネクタ ネチズ ヨット バリ デリン ブルーデー フェルト イーブン ブライ にしままい

インスタントコーヒーと缶コーヒー
抽出の手間を掛けずに手軽にコーヒーを飲むためのものとして、お湯で溶かして飲むインスタントコーヒーや、抽出・調味された液が充填された缶コーヒー、ペットボトルなど各種ボトル入りコーヒーが発明され、工業的に生産されている。

缶コーヒーなどの「コーヒー」表示は、「コーヒー飲料などの表示に関する公正競争規約」に基づく区分により、製品内容量100グラム中の生豆使用量によって、次の3種類に区分される。

コーヒー:5グラム以上
コーヒー飲料:2.5グラム以上5グラム未満
コーヒー入り清涼飲料:1グラム以上2.5グラム未満
製品に乳固形分を3%以上を含むものは「乳及び乳製品の成分規格等に関する省令(乳等省令)」に基づき「乳飲料」となる。(カフェ・オ・レ、カフェ・ラッテ、コーヒー牛乳など)

2009年02月20日

格闘王への道

難易度:★★★★★★ (The Arena)
スイート ビジブル 神の蔵 梅最適 ノマド 天空の城 ほない スポー メセナ ノーブル ルピア レシピ ビーエル ナビサド インテーク オーバー ベックス イッシュー ムラグ おのいして ガーベラ バターケ ピッチ リアフレ デルレイ ソシオ ひるぜん ストロ ビジョナリー ミブーツ デポジット フレッ シンフ マザー ウルク たつごう キヨス モルツ トゼブラ シェルタ マホメ ふたみ せっさ マヌカン レクチン クロヨン プラグ ナッシ トーチ リョウ

「銀河にねがいを」をクリアすると遊べるようになる。
SFC版では一度回復アイテムのマキシムトマトを取ると完全に消滅していたが、今回はマキシムトマトを一度取った後にボスを倒して休憩所へ戻ってくると取ったマキシムトマトの所に普通のトマトが生るようになった(もちろんそのトマトは一度取ったら消滅する)。回復アイテムの数が増えているため、多少難易度は下がっている。

ボス
1〜18 ウィスピーウッズ、ツインウッズ、ロロロ&ラララ、クラッコ、デデデ大王、ダイナブレイド、ファッティーホエール、バトルウィンドウズ(「銀河にねがいを」と同じパターン)、ガメレオアーム、魔人ワムバムロック、ヘビーロブスター、2連主砲、リアクター、メタナイト、ギャラクティック・ノヴァ、中ボスオールスターズ1、中ボスオールスターズ2、バンダナワドルディ
ランダムで出てくる。
19 マルク
最後は必ずマルクと戦う。倒せばクリア。

大王の逆襲
難易度:★★★★★ (Revenge of the King)

「銀河にねがいを」をクリアすると遊べるようになる新モード。
初代「星のカービィ」のエキストラモードと「メタナイトの逆襲」を意識したアクションモード。新キャラが出てきたり、敵の体力が全体的に上がっていたりと難易度が向上している。「はるかぜとともに」と微妙にステージが似ている(BGMも同じ)が、ステージは全て新作である。一部地形は初代「星のカービィ」を忠実に再現している。

ステージ
※【】は海外名。ステージ1〜3は『夢の泉の物語』のように、一単語目と二単語目の頭文字が同じである。

STAGE1 PURPLE PLANTS (STAGE1 パープルプランツ)
紫色の草木のコース。中ボスはファンファン。ボスはウィスピーウッズリベンジ

STAGE2 ILLUSION ISLANDS (STAGE2 イリュージョンアイランズ)
夜の南国のコース。中ボスはファイアーライオン、Mr.チクタク(隠し扉の中)。ボスはロロロ&ラララリベンジ

STAGE3 CRASH CLOUDS (STAGE3 クラッシュクラウズ)
雷雲が轟く天空のコース。中ボスはクラッコJr.リベンジ、グランドウィリー(隠し扉にいるため戦うかどうかは任意。)。ボスはクラッコリベンジ

STAGE4 THE SKY OVER Mt.DEDEDE (STAGE4 マウントデデデ上空)【MT.DEDEDE SKY】
デデデ城の上空。スターシップに搭乗して戦うシューティングステージ。通常のステージは無く、オープニングムービー後即座にボス戦となる。ボスは飛行砲台カブーラー

LAST STAGE REVENGE OF DEDEDE (STAGE5 リベンジ オブ デデデ)【FINAL STAGE THE REVENGE】
デデデ城内部を突き進む。中ボスはステージ1〜3に登場した中ボス。ボスはマスクドデデデ

メタナイトでゴーDX
難易度:★★★★★ (Meta Knight Ultra)

「大王の逆襲」をクリアすると遊べるようになる新モード。『星のカービィ 夢の泉デラックス』に続いて登場。
メタナイトを操作して「はるかぜとともに」「白き翼ダイナブレイド」「洞窟大作戦」「メタナイトの逆襲」「銀河にねがいを」をプレイするモード。各モード間でのみセーブが可能(1つのモードの中ではセーブできない)。
敵を倒すとポイントが溜まり(ザコ敵は1?3(能力無しの敵は1P,ラブリィのみ3P)、中ボスは5、ボスは10溜まり、上限は50)、それを消費する事でヘルパーを出す「ナイトしょうかん」(2ポイント)、一定時間だけ素早さを上げる「メタクイック」(8ポイント)、体力を全快する「ヒーリング」(10ポイント)、必殺技を使用する「マッハトルネイド」(30ポイント)という4つの技が使える。メタナイトの攻撃手段はコピー能力のソードとほぼ同じで、ウィングのように羽ばたいて移動することもできる。さらにメタナイトの剣は紐を斬るだけでなく、導火線への着火と、杭を打つ事も可能。その代わり通常の回復アイテムがなくなり、マキシムトマトが通常の回復アイテムになるため、カービィよりも体力の回復がしにくくなる(前述の通り、ヒーリングが可能だが)。
ちなみに、「洞窟大作戦」では一部のマップに行けない、「メタナイトの逆襲」では実質イベント戦闘だった最初のヘビーロブスターを倒さなくてはならなくなった代わりに、時間制限が無くなりリアクターを倒せばクリアとなる、「銀河に願いを」ではステージの攻略順が選択できず固定される、ギャラクティック・ノヴァ戦とマルク戦がなくなり、代わりに新ボスと戦うなどの変更点もある。
また、この話によりノヴァは願い事を叶える度に星の力を集めれば何度でも復活することが判明した。

ステージ
厳密にはステージではなくレベルで表す
レベル1 
はるかぜとともにのコースが元になっている。

レベル2 
白き翼ダイナブレイドのコースが元になっている。

レベル3 
洞窟大作戦のコースが元になっている。お宝は食べ物に置き換わっており、古代の塔はあっさりスルーすることに。ガメレオアームとも戦わない。

レベル4 
メタナイトの逆襲のコースが元になっている。リアクターを倒せば終了で、最後のメタナイト戦はない。又、制限時間も設けられていないが、最初のヘビーロブスターは倒さなければならない。

レベル5 
銀河にねがいををコースが元になっている、コピーのもとデラックスは食べ物に変わっている。最後はマルク戦ではなくギャラクティックナイト戦。

ヘルパーマスターへの道
難易度:★★★★★★ (Helper to Hero)

「格闘王への道」のボスを13体以上倒すかクリアすると遊べるようになる新モードで、「格闘王への道」のヘルパー版。
最初に選んだヘルパーを使ってボスを倒していく。途中でヘルパーを変更することはできず、最後までコピー能力を固定して戦わなければならないほか、ヘルパー毎に移動速度やジャンプ力など基本的な能力が変わってくるため、それも把握しておく必要がある。(プラズマウィスプのように浮遊しているものもある)
ボス数と回復アイテムの数が「格闘王への道」より減っている。また、ボスの体力がカービィ単体の時に比べて増加し、色違いになっている。最後のボスは新ボス。
全キャラでクリアすると「ヘルパーマスター」の称号が手に入り、SFC版で使われたムービーを見ることが出来る(ヘルパーマスターにならなくても100%にする事は出来る)。
タッグでプレイすることもできる(1人プレイの場合、残りの1人はCP)。その場合、2Pは1Pが選んだヘルパーと同じヘルパーで挑むことになる。基本的に1Pと同じで、受けたダメージは引き継がれるが、2Pは途中で体力が0になってやられた場合、そのボスを倒した後の休憩所で復活する。但し、復活したときの残りHPは、1度目に復活したときは通常の1/2、2度目以降に復活した場合は通常の1/4となっている。
また、「格闘王への道」とは異なり、ボスの出現する順が固定されている。

ボス
1 ウィスピーウッズ
2 中ボスオールスターズ1
3 クラッコ
4 デデデ大王
5 ダイナブレイド
6 ファッティーホエール
7 ガメレオアーム
8 中ボスオールスターズ2
9 ツインウッズ
10 ヘビーロブスター
11 バトルウィンドウズ
12 メタナイト
13 魔人ワムバムロック→宝石魔人ワムバムジュエル
最後は連戦になっている。

真・格闘王への道
難易度:★★★★★★★ (The True Arena)

サブゲームを除く上記10個のモードをすべてクリアすると遊べるようになる新モード。
計10体の新登場ボスとのバトルを勝ち抜き、優勝を目指す。
回復アイテムもあるが、マキシムトマトではなく普通のトマト5つのみで戦わなければならず、また1度取ると2度と復活しない。又、このモードでの休憩所では、2つのコピーのもとの内どちらか一方は必ずスリープになっているため、コピーの変更が非常にしにくくなっている。その為、このゲームで最高の難易度を誇る。
「大王の逆襲」に登場したボス計6体がランダムに登場した後、各新アクションモードのラストボス計3体が決められた順番に登場、そして本モードにのみ登場する真のラストボスが10体目として立ちはだかる。(ちなみに、これら4体のラストボスは"四天王"と呼ばれる)。

ボス
1〜6 ウィスピーウッズリベンジ、ロロロ&ラララリベンジ、クラッコJr.リベンジ、クラッコリベンジ、飛行砲台カブーラー、真 中ボスオールスターズ
ランダム
7(四天王1) マスクドデデデ
「大王の逆襲」と違い、登場直後のハンマー投げがない。
8(四天王2) 宝石魔人ワムバムジュエル
ワムバムロックとは戦わない。
9(四天王3) ギャラクティック ナイト
「メタナイトでゴーDX」と特に変更は無い。
10(四天王4) マルク ソウル
真のラストボス。倒せばクリア。

サブゲーム
新たに収録された3つのサブゲームは、いずれもタッチパネルのみを使ってプレイする。対戦相手は色違いのカービィ。DSダウンロードプレイでソフト1本でも4人まで遊ぶことができる。4人集まらなかった場合、他のプレイヤーはCPとなる。いずれも難易度はレベル3まで存在する。なお、SFC版に存在した2つのサブゲームは完全な1人用になり、2人対戦が不可能になっている。

タッチ! 刹那のカルタ取り
上画面に現れる絵柄と同じカルタを下画面から選び、素早くタッチするゲーム。3枚先取で勝利となる。 本作には出てこないキャラの絵柄も多数存在する。
タッチ! 早撃ちカービィ
次々と現れるマトをタッチで撃つゲーム。マトに描かれているキャラクターによって得点が異なり、ワドルディ(10点)、キャピィ(10点)、ブロントバード(10点)、ワドルドゥ(20点)、ナックルジョー(20点)、コックカワサキ(40点)、ボンカース(40点)、デデデ大王(100点)、メタナイト(100点)、ボンバー(-50点)。ボンバーをタッチすると点数が減ってしまう。弾(吸盤型)は弾数制限があり、弾が無くなると弾切れで撃つことができなくなってしまうが、ピンクの枠をタッチすることで弾が補充され、再び撃つことができるようになる。
爆裂コンベアタッチ!
ベルトコンベアで流れてくる食べ物をたくさん食べるゲーム。毛虫、爆弾、岩を食べてしまうとポイントが減ってしばらく止まってしまうのでタッチして除去する。なお、岩を壊すには2回タッチしなければならず、爆弾を食べるとコンベア上の食べ物が全滅するが、タッチすると相手のベルトコンベアに送ることができる。
刹那の見斬り
「メタナイトでゴーDX」をクリアするとプレイ可能になる。グラフィックはSFC版のものをそのまま流用している。
かちわりメガトンパンチ
「格闘王への道」をクリアすると(19体)プレイ可能になる。グラフィックはSFC版のものをそのまま流用している。

新キャラクター
本節ではスーパーデラックスに未登場のキャラで、本作で新しく登場するキャラクターについて記載する。スーパーデラックスから登場しているキャラクターについては各キャラクターの項目、および『星のカービィ スーパーデラックス』を参照。

コックワドルディ
「激突! グルメレース」の初心者のへやで登場。ベルトコンベアを動かし、ベルトコンベアに乗っているカービィとデデデ大王に食べ物を供給している。グルメレース本編には登場しない。
ゴーストカービィ
本作を起動し、「激突! グルメレース」で2回以上同じステージをプレイすると出現する。「参上!ドロッチェ団」でコピー出来る「ゴースト」と同じ姿。1回目のカービィの動きをし、ブロックなどもすり抜ける。それによって、前回のプレイと比べる事が出来る。ゴーストカービィより早くゴールすると、次のタイムアタックでゴーストカービィの動きがその時のものになる。
ソードナイト
メタナイト専用の新ヘルパー。基本は「ソード」と同能力だが、「メタナイトでゴーDX」のメタナイトと同じく上突きを繰り出せるため、カービィのソードや同能力のヘルパーであるブレイドナイトに比べて多少性能が上がっている。「メタナイトでゴーDX」でランダムで召喚出来るほか、「ヘルパーマスターへの道」でも使用可能。ブレイドナイトとは別キャラ扱い。「大王の逆襲」にも雑魚敵として登場し、吸い込むとソードをコピー出来る。
カプセルJ2
カプセルJから差し替えられた新ヘルパー。基本はカプセルJと同能力。雑魚敵としても登場し、吸い込むとジェットをコピー出来る。

ザコ敵キャラクター
ギップ
あらゆるモードに登場する、バウンダーと差し替えられた敵キャラ。、『星のカービィ 夢の泉デラックス』から登場している。羽の生えた豚の顔のような敵で、壁を這って移動し、鼻から星を飛ばしたりする。
カプセルJ2
あらゆるモードに登場する、カプセルJと差し替えられた敵キャラ。ジェット機の先端部のような顔をした敵だが、攻撃方法はカプセルJと変わっていない。
クーザー
「大王の逆襲」で登場する。第1作目である『星のカービィ』からの登場。初代と比べると少し可愛らしい顔になっていて黄色い嘴がついている。ブロントバートの上位互換キャラで、かなり動きが不規則かつ俊敏なので注意が必要である。他の敵と比べてかなり多く見かける敵である。
フロッツォ
「大王の逆襲」で登場する。第1作目である『星のカービィ』からの登場。タコの姿をしている、スクイッシーの上位互換キャラ。水陸関係なく襲ってくる上に、空中に跳んでくることもあるので注意が必要である。耐久もスクイッシーより高く、水鉄砲も2発でないと倒せない。
ブラッチー
「大王の逆襲」で登場する。第1作目である『星のカービィ』からの登場。シャッツォを強化した大砲の姿の敵である。弾を最高6連射するタイプと、5方向に弾を発射するタイプの2つがある。なお、シャッツォと同じく無敵であるため、こちらから手を出すことができない。
カウカン
「大王の逆襲」で登場する。第1作目である『星のカービィ』からの登場。見た目はペリカンに似ている。初代と違い、トゥーキーの強化キャラである。トゥーキーよりもすばやく、集団で現れることもしばしばある。ホバリング中に突然前に現れるとダメージを受けてしまう事がよくある。
グランプルス
「大王の逆襲」で登場するザコ敵。第1作目『星のカービィ』からの登場。容姿は初代通りに少し怖い顔である。カブーの上位互換キャラ。移動速度などがカブーと比べて早い。神出鬼没で壁をすり抜けて出てくるのでかなりの注意が必要。耐久も高めである。
ソードナイト
ブレイドナイトとに似たキャラであり、『星のカービィ 夢の泉の物語』等にも登場。「メタナイトでゴーDX」や「ヘルパーマスターへの道」でも登場する。敵として出てきた場合は、連続突きや2回斬りに加え、空中斬り等を使う。かなり素早く、耐久も高いうえにガード削りも備えた少々手強い敵である。
ヤリワドルディ
「大王の逆襲」で登場。『タッチ!カービィ』にも登場したワドルディで槍を装備しており、槍で突いたりしてくるのでリーチが長い。『タッチ!カービィ』の時とは違い、槍は投げない。傘と槍を両方持った亜種もいる。
ガルベル
「大王の逆襲」で登場するグリゾーを強化したトラのような姿の敵。とても体力が多く、ダッシュ貫通弾やスープレックスでも1撃で倒せないほど。 ハンマーの技「鬼殺し火炎ハンマー」ならギリギリ倒せるが、ラストに行くまでハンマーが手に入らないので、ミックスする以外に方法が無い。吸い込みならすぐに倒せる。
クロウカース
「大王の逆襲」で登場するツイジーを強化したカラスのような姿の敵。HPが増えたり、跳ねる時の距離と速度が上がっているが、ツイジーとほぼ同じであまり大差はない。
ペロット
「大王の逆襲」で登場するポピーブロスJr.を強化したピエロのような姿の敵。ポピーと比べると、爆弾を持ったタイプは、上昇が低く上昇と落下が早くなり、放物線が極端になっている。ブーメランを持ったタイプは、ブーメランが投げて戻っていく時間が短くなっている。リンゴに乗ったタイプは、全体的に耐久が高くなり速度も上がっている。
ポイズンマッシュ
「大王の逆襲」で登場するキャピィを強化した毒キノコのような姿の敵。吸い込んでも特に体力が減ることはない。笠のない時の顔はキャピィと比べて悲しそうな顔をしている。速度が上がっており、体力も高く、素早く上部の笠を飛ばしたりする場合がある。
ミスター・アングリップ
「大王の逆襲」で登場するスカーフィを強化した青リンゴのような姿の敵。怒ると赤くなって髑髏のような顔になり、背を向けるだけで襲ってきたりするパターンや、吸い込もうとすると高速で前進したりする種類もある。
ローズラブリー
「大王の逆襲」で登場するラブリーを強化したバラのような姿の敵。攻撃範囲がかなり広くなっていて、ヨーヨーでギリギリ攻撃できない距離でも捕らえられるほどである。HPも少し高くなっている。

2009年02月04日

土岐氏(ときし)

土岐氏(ときし)は、鎌倉時代から江戸時代にかけて栄えた武家。本姓は源氏。清和天皇を祖とする清和源氏の一流 摂津源氏の流れを汲み、美濃源氏の嫡流として美濃国を中心に栄えた。室町時代から戦国時代にかけて美濃国守護を務め、最盛期には美濃、尾張、伊勢の三ヶ国の守護大名となった。
ピンク バター 天使ノタ マルチ 華の段 メロン カーリング ゲットー バイオガス ハンカチ ハンドマ チューリン バナナ レパシー サープラ ロザリ キンリー ウエス シェリフ アンソ チェロ さらくやし ピーエル ギング モノキ トリポ ラップカ ハイデ 枸橘 高麗人参 リベラル ワイル ブレーキ ちょうせき トレーダー カモミー アージュ リム いっきく おのえ フィナーレ ゴニウム ノギス ソフト スポイル マベパール ラクトース きわの マフィン ングイン

土岐氏は美濃国のみならず常陸、上総など関東に点在した他、美濃国内には明智氏、土井氏、金森氏、蜂屋氏など多くの庶流が輩出された。

家紋は水色桔梗紋で、白黒紋でなく彩色紋として知られる。、土岐光衡が戦争で桔梗花を兜に挟んで戦ったのを記念して、家紋としたのが始まりである。「土岐桔梗」と呼ばれている。

摂津源氏の源頼光の子の頼国の子孫が美濃国土岐郡に土着。居館(大富館、一日市場館など)を構えて土岐氏を称したのが始まりである。

頼国の子の国房以降、史料上で美濃での活動が見られている。土岐氏の祖については系図類により国房、光国、光信、光衝の諸説あってはっきりしないが、光衝を祖とする説が有力である。

鎌倉時代
光衝は治承・寿永の乱の時代の人物で、鎌倉幕府の成立にともない頼朝の御家人になった。江戸時代の書物に光衝が美濃守護に就任したという記述があるが、信憑性は低い。鎌倉時代の美濃の守護は大内惟義、大内惟信その後は北条氏、宇都宮氏であり、鎌倉時代に土岐氏が守護になったことはない。

承久3年(1221年)の承久の乱では美濃が主戦場となり、京方(後鳥羽上皇方)に「土岐判官代」の名が見え、これを光衝の子の光行とする書物もあるが、光行はこれ以後も幕府の記録の『吾妻鏡』に登場しており、京方の「土岐判官代」は弟の光時と考えられる(谷口研語法政大学兼任講師の説による)。

光定の時に執権北条貞時の娘を妻としており、土岐氏が幕府において有力な地位にあったことが分かる。嘉元3年(1305年)、光定の子の定親(蜂屋氏)は連署北条時村襲撃事件に関与して処刑されている。兄弟の頼貞に累は及ばなかったようで、頼貞の系統が土岐氏の嫡流となる。

鎌倉時代には土岐氏は庶流を美濃国内に多く土着させて、家紋にちなんだ「桔梗一揆」と呼ばれる強力な武士団を形成していた。

南北朝時代
正中元年(1324年)に起きた後醍醐天皇の最初の討幕計画である正中の変において『太平記』では頼貞が計画に加担し、陰謀を察知した幕府軍に討たれる話になっている。しかしながら、頼貞はその後の戦乱で活躍しており、記録に混乱があるが、土岐氏の一族がこの計画に関与したのは確かである。

元弘元年(1331年)、足利尊氏、新田義貞らの挙兵によって鎌倉幕府が滅亡した時(元弘の乱)には頼貞は尊氏に味方し、その後の南北朝の争乱でも尊氏とともに転戦して戦功をあげ、美濃守護に任じられた。美濃に強い地盤を持つ土岐氏は足利将軍を支える有力な武士団となっていた。

頼貞から守護職を継いだのは、勇猛な武将でバサラ大名としても知られる頼遠である。頼遠は平安時代からの発祥の地であった、それまでの土岐郡から厚見郡に新築した長森城へと本拠を移転している。その他、合戦では目覚しい働きを示していたが、驕慢な振る舞いが限度を超えて、康永元年(1342年)光厳上皇への狼藉事件を起こして処刑されてしまう。

美濃守護職は頼康(頼貞の孫。頼遠の甥)が継ぐと、合戦では尊氏・義詮に味方し、たびたびの戦功を挙げた。本領美濃の他にも、尾張と伊勢の守護職を兼任する大大名となり、最盛期を迎えた。その上、評定衆にも加えられた頼康は、幕府創業以来の宿老として重きを置かれた。

美濃国内においては、叔父が新築した長森城が手狭であるとして、同じ厚見郡内に川手城を築いた。以降、川手城は室町期を通して13代守護頼芸に至るまで、土岐宗家の居城となった。

室町時代
嘉慶元年(1387年)頼康が死去すると、養嗣子に迎えた甥の康行が惣領を継ぐ。ところが、3代将軍義満の治世では将軍の権力強化の煽りを受けて、勢力削減の対象となった守護大名家が出てきた。足利氏の一門である今川氏でさえ、これまで大功のあった今川了俊が処罰され、勢力を弱められている。

だが、土岐氏への処断は今川氏よりも早かった。

康行は総領でありながら美濃と伊勢の2ヶ国のみの領有しか許されず、残る尾張は満貞(康行の実弟)に分与されてしまう。この処置に不満な康行は挙兵に追い込まれて、幕府軍の討伐を受けて没落した(土岐康行の乱)。

美濃守護職は頼忠(頼康の弟。康行の叔父)に与えられたが、土岐氏の伊勢守護職は認められずに仁木氏へ移った。以後、土岐氏の惣領は、頼忠の系統(土岐西池田氏)が継ぐことになる。

伊勢を召し上げられた康行は、明徳2年(1391年)の明徳の乱で幕府方として参戦。奮戦が功として認められたため、後に伊勢守護に復帰した。この康行の系統は、土岐世保家と呼ばれる。

一方、明徳の乱に幕府方として参戦した満貞は、卑怯な振る舞いがあったとして尾張守護を解任され没落。尾張守護は斯波氏に継承された。土岐氏の勢力は義満将軍の目論見によって、大きく削がれることとなった。

美濃の守護職を務める頼忠の子の頼益は、優れた武将で合戦でたびたび戦功があり、「幕府七頭」の一家として評定衆に列し、侍所別当として幕閣の重鎮となった。

かつての「康行の乱」では土岐氏庶流の多くが康行に付随したため、新たに美濃守護となった頼忠の土岐西池田氏は外様の国人である富島氏と斎藤氏を守護代として重用する。その後、持益の頃に富島氏と斎藤氏の争いが、美濃全土を巻き込む内乱に発展した(美濃錯乱)。最終的に勝利した斎藤氏が、守護代を単独で継承して美濃の実権を握るようになった一方、持益は隠居させられ、斎藤利永が擁立する庶流の成頼が守護になった。

応仁元年(1467年)に応仁の乱が起きると成頼は西軍に加わった。この乱では斎藤妙椿が活躍、美濃の東軍方(富島氏)を駆逐し、更に公家の荘園や国衙領を盛んに押領して国内を制圧。尾張、伊勢、近江、飛騨まで勢力を伸ばして、妙椿は西軍の重鎮に数えられるようになる。斎藤妙椿は越前の朝倉孝景と共にこの時代に守護代が守護の力を凌いだ事例(下克上)として有名である。

戦国時代
文明12年(1480年)に妙椿が死去すると、斎藤利国(妙純)と斎藤利藤が争い(文明美濃の乱)、その後は妙純と守護代の家宰石丸利光が戦った(船田合戦)。この美濃の騒乱では守護の土岐氏(成頼、政房)は国人たちの争いに担ぎ出される傀儡に過ぎなくなっていた。

妙純が近江出兵中に戦死すると、斎藤氏は中心を失い国人たちは政房の子の頼武と頼芸の兄弟をおのおの擁立して争い、それに尾張の織田氏や近江の六角氏、越前の朝倉氏が介入した。斎藤氏は没落して、その家宰の長井氏が台頭した。

やがて新参の長井新左衛門尉(斎藤道三の父)が頭角を現すと、守護の頼武を追放して鷺山城の頼芸を守護に就ける。新左衛門尉は長井氏を乗っ取り、次いで新左衛門尉の跡を継いだその子長井規秀(後の斎藤道三)が斎藤家の名跡を継ぎ、斎藤利政を名乗った。操り人形に過ぎなくなった頼芸は天文21年(1552年)頃に追放され、美濃土岐氏は没落した。

なお、頼芸の弟・治頼は分流の常陸江戸崎土岐氏を継いでおり、美濃を追われた頼芸は一時江戸崎(現在の茨城県稲敷市)に身を寄せている(このとき土岐氏の嫡流を譲ったとされるが、江戸崎土岐氏もまた豊臣秀吉の小田原の陣に際し領地を失い滅亡した)。更に頼芸は上総万喜城(現在の千葉県いすみ市)のこちらも分流である土岐為頼を頼った(上総の土岐氏も秀吉の小田原の陣に際し領地を失い滅亡した)。

江戸時代以後
頼芸は天正10年(1582年)まで生きて天寿を全うし、その子・頼次と頼元は旗本として幕府に仕えた。治頼の子孫は紀州徳川家に仕え、徳川吉宗が将軍職を継いだ時に幕臣となった。

土岐世保家
明徳元年(1390年)の土岐氏惣領は、土岐康行の乱を起こすも将軍義満の追討を受けて没落。

その当事者である康行は後に帰参を許され、応永7年(1400年)に「伊勢北半国守護」に再任された。しかし、主流の美濃守護職は頼忠の家系(西池田家)に奪われたために、康行の家系は世保家と称して、伊勢守護職を断続的に継承することになる。『看聞日記』には世保家が「土岐氏惣領」と記されており、世保家こそが本来の嫡流と見られていたようだ。谷口研語法政大学兼任講師は土岐氏一族の多くは世保家に従っていたであろうと述べている。

応永25年(1418年)、世保系3代当主の持頼は足利義嗣の謀反に加担したとして所領の一部を没収されている。この時に、伊勢守護職を奪われたという説もある。

応永31年(1424年)、持頼は上皇の女官と密通したと咎められ、幕府の追討を受けた。後に罪を赦され、正長元年(1428年)に伊勢守護に復帰した。持頼は北畠満雅の蜂起(後南朝)の鎮圧に成功している。ただ、伊勢は国司北畠氏の勢力が強く、その後もしばしば反乱が起き、世保家は統治に苦労している。

永享12年(1440年)、持頼は将軍独裁を進める足利義教の命により大和出陣中に殺害された。伊勢北半国守護は一色氏に移る。

応仁の乱が起こると美濃土岐氏が西軍に属したのに対して、持頼の子の政康は東軍に属している。また、伊勢北半国守護の一色義直が西軍であったことも政康が東軍に属した理由である。政康は東軍によって伊勢北半国守護に任じられ、伊勢の支配を巡って北畠教具と戦っている。また、政康は東軍に与した美濃の有力国人の富島氏に協力して美濃土岐氏とも戦っていた形跡がある。

応仁の乱の末期に南北伊勢守護職は一色氏、次いで北畠氏に与えられた。戦国時代末期まで北畠氏が伊勢守護となる。

常陸土岐氏
一時期原氏を称したことから「土岐原氏(ときはらし)」とも呼ばれている。南北朝期に常陸国に下って山内上杉家の家臣となった。後に江戸崎土岐氏、竜ヶ崎土岐氏の二氏に分かれ栄えたが、後に江戸崎土岐氏が統一して宗家より土岐治頼を迎える。戦国時代には後北条氏に服属を余儀なくされ、小田原の役においてともに滅亡したが、後に江戸幕府旗本となる。

傍流には、武田氏に仕え陣馬奉行として活躍した原昌俊・昌胤父子や豊臣秀吉に仕えて関ヶ原の戦いでは西軍についた美濃太田山藩主原長頼などがいる。

上総土岐氏
万喜城に拠ったため万喜土岐氏とも呼ばれる。戦国時代に現れた土岐為頼は、房総の覇権をめぐって里見氏と後北条氏とが対立するなかでたくみに身を処し勢力を維持したが、為頼の死後、土岐頼春の代に小田原の役が勃発、頼春は後北条氏方に与したために滅亡した。

系譜
『土岐氏の系図には、はっきりしない部分も多いので注意が必要である』

凡例 太線は実子、細線は養子 *は同一人物 
   1= 土岐宗家歴代 ( 丸数字は、美濃守護職を歴任 )
   ?= 土岐世保家歴代

   国房以前は摂津源氏の項を参照。


              源国房
               ┃
              源光国
               ┃
              源光信
               ┃
              源光基
               ┃
              土岐光衡1
               ┃
               光行2
               ┃
               光定3
  ┏━━━━━━━━━━━━┫
蜂屋定親          頼貞?
  ┃            ┣━━━━━━━━━━━┳━━━━━━━━━━━┓
 原師親           頼清          頼遠?         頼基
(常陸土岐氏)┏━━━━━━━┻━━━┳━━━━━━━┳━━━┓       ┃
       頼康?         頼雄      直氏  頼忠?    明地頼重
       ├─────────────┐    ┣━━━┓   ┃   ┃    (明智氏祖)
      *康行?.?   *満貞 *康行 *満貞  詮直  頼益?
       ┃                       ┃
       康政?                     持益?
       ┃               ┏━━━━━━━┥
       持頼?             持兼      成頼?
       ┃               ┃       ┣━━━┳━━━┓
       政康?             亀寿丸      政房? 定頼  元頼
               ┏━━━━━━━┳━━━━━━━╋━━━┳━━━┓
               頼武?     頼芸?.?    治頼  光親  頼香
               ┃   ┏━━━╋━━━┓
               頼純? 頼栄  頼次  頼元 
                           ┃
                           持益

徳川譜代大名 土岐氏
美濃守護職を務めた土岐氏は徳川氏の旗本となったが、数多く在る美濃土岐氏の傍系には大名を輩出した1派がある。

その1派である明智氏は、土岐氏初代である美濃守護土岐頼貞の九男頼基を祖とするという。16世紀半ばの人物とされる明智定明は、内紛により殺害された。

その子定政は母方の祖父である菅沼定広を頼って三河設楽郡へ落ち延び、そこで成長した。当初、奥平氏に再嫁する母とは離別させられたため、母の弟の養嗣子として菅沼藤蔵を名乗り、家康に仕える機会を得た。定政は、徳川が関東に移封された際、下総の守谷で一万石を与えられた。その後、秀吉の勧めを受けて土岐姓に復した。

幕藩体制下では、何ヶ国かの転封を経て上野沼田藩3万5千石として明治維新を迎えた。初祖の定政以来、山城守を世襲していたため「土岐山城守家」とも言われる。

なお、明智光秀の祖父ともされる頼典(光継ともいう)は、頼明の兄となる。

藩の変遷
下総国守谷藩  1 万石。
摂津国高槻藩  2 万石。
下総国守谷藩  1 万石。 (藩主・頼行幼少の為、減石され再封)
出羽国上山藩  2.5万石。(頼行、成長により知行回復)
越前国野岡藩  3.5万石。(ただし、摂津・河内国内の飛び地を含む。頼殷の大坂城代就任に伴う移封)
駿河国田中藩  3.5万石。
上野国沼田藩  3.5万石。

徳川譜代 土岐氏 系譜
凡例 太線は実子、細線は養子
   1= 歴代当主 ( 丸数字が、徳川の譜代大名 )


      土岐頼貞
       ┃
     (数代略)
       ┃
      土岐定明
       ┃
       定政?
       ┃
       定義?
       ┃
       頼行?
  ┏━━━━┫
 頼殷?  頼長
  ┃
  頼稔?
  ┣━━━━┓
  頼煕?  定経?
       ┣━━━━┳━━━━┳━━━━┓
       頼寛?  定吉?  定富?   頼布?
                      |
                      頼潤?
                 ┌────────┨
                 頼功?  頼寧?
                 ┃    |
                 頼知?  頼之?

2009年01月21日

江戸中期以降の大相撲は特に神道

江戸中期以降の大相撲は特に神道の影響が強く、力士の土俵入りの際に柏手をうち、横綱が注連縄を巻くようになったのは、相撲の宗家とされた吉田司家の許可に基づくものである。東京での本場所前々日には東京都墨田区の野見宿禰神社に日本相撲協会の幹部、審判部の幹部や相撲茶屋関係者が出席して、出雲大社教の神官によって神事が執り行われる。
土俵祭
土俵祭とは、本場所の前日には立行司が祭主となって行なう祭事である。介添えの行司が清祓の祝詞をあげた後、祭主が神事を行い、方屋開口を軍配団扇を手にして言上する。この後、清めの太鼓として、呼び出し連が土俵を3周して式典が終わる。寛政3年(1791年)征夷大将軍・徳川家斉の上覧相撲の際に吉田追風が「方屋開」として始めたものである。
相撲場は明治中期まで女人禁制で、明治になるまで観戦することもできず、現在でも土俵上に女性が上るのを忌避している。
土俵

相撲の呼び方
「すもう」の呼び方は、古代の「すまひ」から「すまふ」になり、「すもう」に訛った。
「捔力」(『日本書紀』)、「角觝」(江戸時代において一部で使用)と表記され、いずれも読みはすもうであるが、漢字制限(当用漢字、常用漢字、教育漢字)により角力が別名でもある。
古代には手乞(てごい)とも呼ばれていたと言う説も有る。(手乞とは、相撲の別名とされ、相手の手を掴む事の意、または、素手で勝負をする事を意味する。)
大相撲を取る人は「力士」(りきし)や「相撲取り」といい、会話では「お相撲さん」とも呼ばれ、英語圏では「相撲レスラー」と呼ばれる事もある。

相撲の戦い方
競技の形態としては、直径4.55m(15尺)の円形または四角形をした土俵の中で廻しを締めた二人が組み合って(取り組み)勝ち負けを競う。土俵から出るか、地面に足の裏以外がついた場合、もしくは反則を行った場合、負けとなる。その判定は行司(アマチュアでは主審と呼ぶ)が行う。
相撲の取組は、伝統的に力士の年齢・身長・体重に関わらずに行われる。(無差別の戦い方)
相撲司家の吉田家の故実では、禁じ手制定以前の相撲の戦い方について「相撲の古法は、突く・殴る・蹴るの三手である」と伝えられている。
普通は以下のような流れになる。

仕切り

円形の土俵に入り、最初はやや離れて立ち、互いに顔を見合わせ、腰を落とし、仕切り線に拳をついて準備する。これを仕切りといい、立ち会いが成立するまで繰り返す。仕切りは何度行ってもよい(制限時間がある場合はその範囲で)し、繰り返さなくてもよい。
1928年(昭和3年)1月12日から日本放送協会のラジオ放送による大相撲中継がはじまった際、放送時間内に勝負を納めるため幕内10分、十両7分の制限時間設定とともに仕切り線が設けられた。現在の制限時間は幕内4分、十両3分である。

立合い

拳をついた状態から、互いに目を合わせ、両者同時に立ち上がり、ぶつかる。普通は正面からぶつかり合うものであるが、必ずしもそうしなくても良い。この、試合の始まりを立合いという。
立合いは、世界では見られない、日本独自の方法である。その開始は、両者の暗黙の合意のみで決まる。仕切りを繰り返すうちに、両者の気合いが乗り、共にその気になった瞬間に立ち上がるのが本来の形で、行司は一般のスポーツのように開始を宣言するのではなく、確認するだけである。ただし、現実には時間制限などが設けられる。
土俵に拳をつける立ち合いは江戸時代の元禄の大相撲力士の鏡山仲右衛門が始めたものが広まったものである。
仕切り線ができたことにより発達した。これ以前は当時の写真をみればわかるとおり、立会いの距離制限がなく頭と頭をつけた状態から開始されることも多かった。

勝ちの確定
勝ちが決まるのは次の場合である。

相手の足の裏以外を土俵の土に触れさせた場合。投げて背中が着いても、引っ張って掌が着いても、極端な場合には相手の髪の毛が着いてもその時点で相手の負けが決まる。
相手を土俵の外に出した場合。相手の体の一部が土俵の外の地面に着いた時点で勝ちが決まる。
日本の相撲以外の多くの相撲系の格闘技は、レスリングにおけるフォールのように、相手の背中が地面に着かないと勝ちにならない。また、試合場の外に出ることを反則としても即座に負けと認める例も少ない。この二点のために、相撲は勝負がつきやすいと共に、勝敗の行方がデリケートである。体重制を取らなくても勝負が成立する理由の一つもここにある。

相撲の攻め手
離れた状態から、ぶちかまし・喉輪・突っ張り・張り手・足払い等の攻め手を用いる立ち合いにより、優位な状況をつくる。
触れあった状態で押す。胸に手のひらを当てたり、まわしを握って押し出す。
廻しを掴んで引き寄せあう。両者が同じ側(右と左)で横より後ろの廻しを取り合った場合、互いの手が交差するが、その際内側にある手を下手、外側にある手を上手という。
急に後ろに引いたり、体を開くなどによって相手のバランスを崩す。
相撲においては、まず押すことを良しとする。まわしを取った手は引くが、その場合でも体全体としては常に前に出ることを心がける。「引かば押せ、押さば押せ(相手が引こうが押そうが押せ)」との言葉もある。実際には引き落としなど引く技もあるが、ほめられない。また引かれた場合も引かれる以上の早さで前に出ることで攻勢を取るのが良しとされる。
ワンス ボデオ モンクレ シガト ドレア パーコレ スタート メジャー ピーエイ ソフトダ ロッド たむぽえ フレム パンジー 羅生門 ブリスベ 便利に イチゴ ストッ ニット えいか ハンド ジース カーネリ ドラー あいら パンゲア オブラ ジンサ スカジー ドルペッグ うたまくら えいこう モルディブ たいゆう ニオブ 美女と野獣 ドーマ トップ トパイ ダウンベ ナビルポ ナトリ ろぎょ オーニソム 雪舞い マルチ タイトルラ トリ キャメ

決まり手
勝敗が決したとき、それがどのような技によるかを判断したものが決まり手である。当然様々な場合があるが、公式な決まり手として、投げ・掛け・反り・捻りを中心にしたものがある。かつては四十八手といわれたが、現在では大相撲協会が77の技名と技でない決まり手5(勇み足など)を決めており、そのどれかに分類される。

禁じ手

相撲の構え
日本古来から伝わる「手合」と呼ばれる相撲の構えが江戸時代中期まであったが、現在まで、その名残として「三段構え」が存在する。(手合と三段構えは世界中では見られない日本独自の構え)
力士が、「両手の手(拳)を土俵に付けてから立ち会う」事は、江戸時代中期の人物で紀伊出身の鏡山沖右衛門から始まった、これは、土俵を用いる相撲に適応し、徐々に浸透していった。
現在まで伝わっている相撲の「追っ付けの構え」は、相撲の攻防に適した構えである。

相撲の段級
日本相撲連盟が、段級位制を取っている。黒いまわしの着用が許されるのは初段以上である。

相撲の用語

あんことソップ
重量級の力士をあんこ、軽量の力士をソップと称する。軽量力士は一般的には不利とされるが、軽量ゆえの動きを生かした技で大型の上位力士を倒す取組は大きな見所となる。

相撲と日本人移民
相撲は、日本移民とともにブラジルに渡り、南アメリカにも持ち込まれた。

ブラジルでの最初の相撲大会は1914年8月31日、天長節を祝してサンパウロ州グアダバラ耕地で、開催された。福岡県、熊本県出身の30人余の若者が参加し、日本の本式の土俵で行われた。

1962年、アマチュアの普及発展を目的に、伯国相撲連盟が結成。1966年にはブラジル政府公認のスポーツ団体となった。相撲推定人口は約4000人、本部はサンパウロ市にある。
1983年、日本とブラジルの両相撲連盟が発起人となり国際相撲協議会を発足。
1985年にはパラグアイ、アルゼンチンの相撲連盟が同協議会に加盟する。
1986年、パラグアイへの日本人移民50周年記念事業として、全パ相撲大会が開催される。日本、ブラジル、アルゼンチン、パラグアイの4か国から選手が参加した。
日本からの遠征は1951年、全伯青年連盟の招聘による秀の山一行の渡伯を皮切りに、大相撲からアマチュア相撲の選抜選手が現在も遠征が続けられている。

大相撲
行司家
相撲司家の宗家吉田司家以外に、全国には行司家というものがあった。行司家は、五条家をはじめ、吉岡家、服部家、尺子家、一式家、岩井家、式守家、木村家、木瀬家、鏡山家、長瀬家など、その他多数存在した。
現在では、木村家と式守家のみが残っている。(行司も参照のこと。)
一般的に、吉田司家は、五条家の目代と、言われているが、一切そのようなことは無く、関係あるのは、二条家のみである。

事実、吉田家の19世 吉田追風が、寛政年間に、徳川幕府に提出した故実書に、五条家は家業牢人の輩の道中絵符人馬宿駅の帳面免許す、とあり又、木村庄之助の先祖書きにも旅行の節御由緒これあり、京都五条家より御絵符頂戴いたしきたり候としるされているように、相撲の宗家とは、云い難い。

相撲の今後の課題
大相撲に関しては、→大相撲を参照のこと。
相撲司家である「吉田家」や「五条家」に伝わる故実・伝書などの調査・研究。
各行司家に伝わる故実・伝書などの調査・研究。
吉田司家の相撲界への復帰。
相撲の指導者および後継者の更なる育成。
学校教育への相撲の導入。
防犯。